モダンサッカーの基本中の基本はストリートサッカーである。つまり、遊びのサッカーだ。多分、昔のヨーロッパや、ブラジルなどの南米などの街の通りで子供達がボール1つでファイトしていたサッカーが基本中の基本である。
最近、僕の住んでいる多摩エリアの幼稚園や小学校の低学年の子供達が数人で公園などの空き地でストリートサッカーをやっているのをよく目にするようになった。これは、土日に学校などで、お父さんコーチから言われたようにやるサッカーとは全く違うだろう。
オランダのサッカーはこのストリートサッカーを現代の世の中に於いて、トレーニングのグラウンド上に再現する方法だ。
現代のサッカー指導法では、M-T-Mメソッドというものが考えられている。
Mはマッチ(Match)で、試合の意味。Tはトレーニング(training)の意味。マッチをやり、不足している技術をトレーニングして、最後にまたマッチをする。1つの課題に対して、この一連のことをする。そして、多くのトレーニング内容の様々なアイテムに関して、数限りない、このM-T-Mがあるだろう。
それは、まず最初に小さいグリッドのコートで、数人対数人のゲームをする。この場合、周りにいる監督なり、コーチが、あーしろ、こーしろ、右に行け、左に行けとかいう、どこのお父さんコーチや、体育的サッカーコーチが言うようなことは一切、しないで、選手たちは、自分達で考えて自由にやるようにもっていく。
選手達がこのミニゲームを必死でやる、ようにもっていくのがコーチの手腕だ。
そして、コーチ、監督はこのミニゲームをコートの外から観察していて、個々の選手達の不足している技術、思考、戦術などが何であるかを見抜かなければいけない。
これが出来ないコーチ、監督はコーチ、監督をやめてください。裏方に徹して下さいね。サッカーの指導者の最も要求される能力というか、才能は、この現在、繰り広げられているゲームを観察して、解釈する能力です。
これは、絵画や、音楽や、文学を鑑賞して、批評できる能力などと似ているものです。
だから、コーチ、監督は勉強しないと出来ません。
次にコーチ、監督がこの技術が不足しているから、これを集中的にトレーニングしようと考える技術トレーニングを時間をとってやる。どういう技術が不足しているか、どういう技術があればもっとよく出来るか、それを発見する能力。次に、その不足している能力を開発するにはどういうトレーニングをやればいいか知っていること。それは知識です。
このトレーニングも楽しくやる。
最後にそのトレーニング効果はどうか、確かめる意味で、マッチ(ゲーム)をする。
基本中の基本は、一連の練習中に、選手達がいきいきと、意欲的に、言ってみれば楽しくてしょうがないとといった雰囲気をコーチ、監督が作る能力があるかどうか、ということである。
そして、練習内容の基本をミニサッカーをすることから構成することです。
ところが、一般的な学校体育のサッカーの先生は、大体、この逆ですね。学校でやることは、楽しいなんてもってのほか、学校でやることは忍耐と根性をつける訓練でなければいけない、と。いまどき、こんな先生がいるかどうか知りませんが。
そして、練習内容も、英語で英作文の勉強のように、基本の技を暗記するように、いわゆる体で憶えるまで練習することがほとんどで、ちょっとましでも、3対2とか、5対3とかの空手の約束組み手みたいな練習がほとんどですね。
ゴール前での、攻撃が3人で、守備が2人などの練習をいくらやっても上手くなりません。そんな場面が実際に起こりますか。これは、学校体育のサッカーの練習で、空手の約束組み手の練習と同じです。
サッカーは、ほとんど、監督、コーチ、つまり指導者の質で決まる。
そして、優れた才能を開花させてやれるかどうかも監督、コーチで決まる。監督、コーチがヘボだとその才能は道端の野草になってしまう。
ある会社の業績ややる気などが社長によってほとんど決まるのと同じですね。
だから、今やっているサッカーはどういうものなのか考えてみる必要もある。
先生がサッカーの本質を知らないのか、つまり勉強不足なのか。
それとも、サッカーは遊びであってはならず、文武両道のうちの武であって、鍛錬であり、学校の目的は、出来るだけ良い大学に入るように教育することである、と考えているのか。
だけど、僕は、この最後の考え方も、結局は間違っていると思う。つまり、サッカーのことを知らないために、つまり勉強不足のために、間違った観方をしているのだよ。
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